これをなすには、人は心にたいして神を信頼するように意識を信頼させねばなりません。
これにはときとして盲信ともいうべきほどの強烈な信念を必要とします。
盲信ということをもう少し明らかにしてみましょう。われわれは物を見るのに道具として目という物を持っていますが、窓ガラス自体が外景を見ないのと同様に目自体が物を見るのではありません。
窓越しに外景を見るのは目ではなくて実は”あなた”なのです。したがって目を使用して物を見るのは”あなたの意識”です。
なぜなら、あなたが無意識になるならば、視覚器官はなおも存在するにもかかわらず、あなたはもはや見ることはできないからです。
他の感覚器官の場合も同じことです。
従って人間は仮りにも生命の宇宙的な記憶を持とうとするならば、”意識で見ること”すなわち心が意識と協力することの重要性に気づかねばなりません。
すると人間は記憶のページのなかから永遠に生きる自分に気づくことができるのです。
これは個人が永遠の生命を得ようとする場合の個人の生活の重要な面です。
これがイエスの言葉「自分の(個人の)生命を失う者は永遠の生命を見い出すだろう」の意味です。
久保田八郎 訳「レクチャー7●宇宙的記憶」より
意識とマインドを融合する為には、センス・マインドは神を信頼する様に意識を信頼しなくてはなりません。
そして、それには時に盲目的というほど強い信念が必要です。
そこで、盲目的信念とは何かを更に明確に説明しましょう。人間には物を見る為に目があります。しかし、窓ガラスの向こうに見える景色を窓ガラス自体が見る事が出来ない様に、目自体が見る事は出来ません。
目を通して見ているのはあなた、即ちあなたの意識が見ているのです。
故に、あなたが意識を失えば、視覚器官は存在するにも関わらず、見る事は出来ません。
他の感覚器官も同様です。
従って、生命の宇宙的記憶を保とうとするならば、意識を通して見る重要性を理解する事、即ちセンス・マインドを意識と共に働かせる事を知る必要があります。
それによって、記憶のページから伝えられる印象を通して、永久不変である自分を知る事が出来るのです。
以上が、永遠の生命を得たいと望む場合に、個人の生命において重要な段階です。
これこそイエスが語った − 自分の生命を失う者は永遠の生命を得る事になる − という事の真意です。
篠芳史 監訳「第七課 宇宙的記憶」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON SEVEN Cosmic Memory"