同様に心が”意識的な知覚”に興味を持てば、それは意識という家のなかのあらゆる物を見たがることになります。
これは冒険かもしれません。というのは、知識を求めようとするこの飢えは短気を促進するかもしれないからです。その結果は混乱が起こるでしょう。
それゆえ心は自制を学ばねばなりません。
心は永遠に学ばねばならぬことを忘れてはなりません。
この悟りによって心は物事の連続の中に一歩一歩知識を得るのです。
分裂や神秘をひき起こす割れ目も存在しないでしょう。
心が持つ興味は時間というものに関係のない性質のものであるべきで、ただ一歩一歩が何を差し出そうとしているかを知るだけでよいのです。
すると次の一歩を踏み出さねばならぬとき、心からくるかもしれない異質の要素を何ら伴うことなく例の混和状態が起こるのです。
久保田八郎 訳「レクチャー8●宇宙の一体性」より
従って、センス・マインドが意識による知覚に関心を向ける時には、意識の住みかの中にある全ての物を見たいと望むでしょう。
これは、ある種の危険を伴うかもしれません。知識に対する渇望は短気を助長し、結果的には混乱を生じる可能性があるからです。
従って、マインドは自制を学ばなければなりません。
また、学ぶ事に限りはなく永遠である事を忘れてはいけません。
この覚醒により、物事が連続する中で徐々に知識を得る事が出来ます。
そして、差別や神秘を生み出すギャップや分裂もなくなるでしょう。
マインドの好奇心は時間に影響されない性質のものへ興味を向けるべきであり、只、各段階で提示されている課題を学びさえすれば良いのです。
すると、次の段階に進む時にマインドが生み出す可能性のある異質な要素の影響を全く受けず、意識とマインドとの融合(一体化)が起きます。
篠芳史 監訳「第八課 宇宙の一体性」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON EIGHT Cosmic Oneness"