さて、いかに異なるタイプの想念が現れるかを観察しましょう。
もし怒りの想念が心に入ってくると、顔付きは変化して怒りを表現します。
楽しい想念が起こると顔は楽しくなってくるなどの変化が起こります。
これは心中に持っている一つの想念を粘土で形に表現する彫刻家と同じことです。
したがって想念とは、それが何を表現しようとも彫刻家のようなものです。想念がみずからを表現するために顔の表情を作るからです。
したがって若々しく健康な、よく均整のとれた肉体を望む知的実体たるわれわれは、常にそうした想念を持たなければなりません。その原型に従って肉体を形作るからです。
肉体が若さを保とうとすれば、特に宇宙的な線にそった新鮮な想念が重要です。
久保田八郎 訳「レクチャー6●新鮮な想念で人体は若返る」より
さて、異なるタイプの想念がいかに表現されるか観察しましょう。
怒りの想念がマインドに入ると、顔の表情は怒りを表現する為に変化します。
また、幸福な想念が起ると、そのように表現され、他の想念でも同様です。
ちょうどこれは、彫刻家が心に抱いている想念を粘土で形作り表現する事と同じです。
従って、想念がいかなる種類のものであっても、言わば彫刻家のような存在です。想念は表現する為に表情を形作るのです。
従って、知的な存在としての我々は、若さ・健康・均整のとれた身体を望むのであれば、常にそうした想念を抱く必要があります。人体は想念の鋳型に従って形成されるからです。
新鮮な想念は、とくにそれが宇宙的な線に沿ったものであれば、人体が若さを保とうとする場合に重要です。
篠芳史 監訳「第六課 新鮮さ・マインドを若返らせる」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON SIX Newness, The Rejuvenator Of The Mind"