心が楽しい状態を保とうとするならば、いつかはこうした勝手な意見を捨てなければなりません。
世の中のあらゆるトラブルはこのようにして作られてきました。
そしてトラブルが大きくなってくると、人々は、目的を持って万物を創造した”全包容的な意識”である神の手にそれをゆだねようとします。
人々はこの”偉大な英知”が状況を修正してくれることを望みます。
しかし多くの例でその修正法が示されても人々はそれに応じようとはしません。最初に過失をおかした心によってその修正法が理解されないために、それが受け入れられないからです。
そしてときとして心は最小の抵抗の態度をとり、不活発な状態となって何もしません。
修正によって学びとろうという決意を持つかわりに、責任をのがれようとします。
神はみずから助ける者を助けると言われてきましたが、
そのように、望ましくない結果を修正し、報いを得るためには個人も何かをなさねばなりません。
久保田八郎 訳「レクチャー2●心とその成分」より
快適な状態を望むのなら、いずれはこの様な好き嫌いによる考えをマインドは退けなくてはなりません。
世の中のトラブルは全てこうして引き起こされてきました。
そして、問題が手に負えなくなると人間は神の手に解決を委ねようとします。神は全てを包含する意識であり、目的を持って万物を生み出しました。
それで偉大な英知が状態を修正してくれることを人はそれぞれに願います。
しかし、修正方法が示されたとしても、マインドは拒絶する場合が殆んどですが、それは最初に過ちを犯したマインドが理解出来ないからです。
マインドは無駄な抵抗の態度をとって怠惰な状態に陥り、全く機能しない時もあります。
マインドは過ちを訂正して学ぼうとする代わりに責任を逃れ様とします。
神は自ら助けるものを助けると言われてきました。
従って個人が望ましくない結果を修正して良き現象を生み出すには自分で行動しなくてはなりません。
篠芳史 監訳「第二課 マインドとその構成成分」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON TWO The Mind and Its Component Parts"