心を意識にまかせること
「二心では何をしてもだめだ」とイエスは言っています。
一感覚器官があるものを好み、他の感覚器官がそれを好まない場合は二心ある状態です。
それゆえイエスはあらゆる点で誠実であれと教えています。
言いかえれば、四つの感覚器官を奉仕の目的のために結束させることであって、裁きに利用してはいけないということです。
そしてこれは意識の指導によってのみ可能です。
なぜなら意識の中には好ききらいがなく、しかも意識はあらゆる現象の目的を理解しているのですが、心はそうでないからです。
あらゆる現象はまず意識のなかではらまれて、次に結果の世界へ生まれます。
それはちょうど心が意識のなかではらまれて、その受胎の結果として生まれ出るのと同様です。
だから心が結果(現象)によって導かれるのが容易になるのです。
そして心はあらゆる結果(現象)が起こった理由も知識も持つことはなく、好ききらいの判決をくだしています。
久保田八郎 訳「レクチャー2●心とその成分」より
イエスは二心ある者は何事もなし得ないと語りました。
ある感覚器官が好み、他の感覚器官が好まない状態は二心ある状態です。
故に常に心を統一せよと弟子達に諭したのです。
言い換えれば、奉仕の為に四つの感覚器官の全てを統一させるのであって、裁く為ではないという事です。
これは唯一意識の指令によって行なう事が出来ます。
何故なら意識の中には好き嫌いという概念は存在せず、意識はあらゆる現象の目的を理解していますが、マインドはそうではないからです。
あらゆる現象は意識の中で受胎し結果の世界へ生み出されます。
ちょうどマインドが意識の中で受胎し、マインドとしての概念を持つ結果として生み出されるのと同じです。
それ故、マインドは結果によって容易に左右される傾向があるのです。
そして、マインドは知識を持たずあらゆる結果が生まれた理由も理解せず好き嫌いで判断します。
篠芳史 監訳「第二課 マインドとその構成成分」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON TWO The Mind and Its Component Parts"