心が”父”を信用しない場合、心は自分の力だけで働いているようなふりをします。
これは宇宙の法則の誤用によって創造主と心との分離を引き起こします。
だから父と息子は一体となって働かねばならないのです。
「私と父とは一体である」とイエスは言いましたが、
”心である私”と意識とは一体であるのです。
すなわち心としての私は意識の行なう物事以外の何もしないということです。
つまり私自身は何もやらないが、私を通じて働いている”父”はあらゆる仕事をするという意味です。
意識の伴わない心は死物であるからです。
久保田八郎 訳「レクチャー12●たえまなき進歩の報い」より
マインド(心)が父(意識)を信頼しない場合、マインドは自分勝手に働きます。
そして、この宇宙の法則の誤用によって、宇宙の創造主とマインド(心)の作り手の間に分離が生まれます。
故に、父(意識)と子(マインド・心)は一体となって働かなくてはならないのです。
イエスは − 私と父(意識)は一体である。
私であるマインド(心)と意識は一体である。
そうでなければ私は何事もなし得ない。しかし、私を通して父(意識)が全てをなし給う − と言いました。
これは、私であるマインド(心)は意識なくしては何事もなし得ず、意識がマインド(心)を通してあらゆる物事を行なう事を意味しています。
従って、意識のないマインド(心)は死んでいるのです。
篠芳史 監訳「第十二課 要約 絶え間ない進歩のもたらすもの」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON TWELVE Summation ― The Rewards Of Continuous Progress"