こうした生活は生命の海のなかで行なわれるということを忘れてはなりません。
しかも人間にはそのいずれの環境のなかで生きるかを選ぶ自由意志が与えられます。
しかし私は世のなかのあらゆる面での異常な行為を無視せよというのではありません。
現世の最低の表現から最高の表現に至る生命を知ろうと思えば、あらゆる行為を観察する必要があるからです。
そのようにすればわれわれは”動・反動”の法則、すなわち因果関係を観察しながら、人間のあらゆる行為の背後にひそむ因子を理解できるでしょう。
しかしわれわれは必ずしも行為者になる必要はありません。
われわれはプロボクシングの試合を見ることはできますが、選手にはなれません。しかし選手の心がどのように働くかを観察することはできます。
あなたがこうした観察法を身につければ、よき知識をそなえることができるようになり、自分の方へやってくる、自分をトリコにするかもしれない印象類の型に気づくようになります。
ここにおいて知恵というものの始まりがあるのです。
久保田八郎 訳「レクチャー9●宇宙的細胞と肉体細胞の活動」より
そして、これらは皆、生命の海の中で起きている事を忘れてはなりません。
又、我々にはどちらの環境で生きる事を望むのか、それを選択する自由な意志が与えられているのです。
しかし、あらゆる分野における異常な活動を無視せよというのではありません。
それは、生命を知る為には生命の低次な表現からその高度な可能性迄、あらゆる活動を観察しなくてはならないからです。
そうした後、我々は作用・反作用の法則、即ち因(四次元)と結果(三次元)を観察して、生命の内奥にある因を理解するでしょう。
しかし、我々がそれを演じる必要はありません。
我々はプロボクシングの試合を観戦しますが自分がボクサーになるわけではありません。しかし、試合中に人間のマインドが働く様子を観察する事が出来ます。
この様な観察方法を行なうと、更に知識が身に付き、伝えられる印象によって自分が影響される可能性のある印象のタイプが分かります。
これが知恵の始まりです
篠芳史 監訳「第九課 宇宙的な細胞と世俗的な細胞の活動」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON NINE Cosmic And Carnal Cell Activity"