心は現象に頼っている
ひとたび心が、その生活中に多くの不快事をひき起こしたみずからの弱さに気づくならば、最初は苦痛と感じても、ただちに意識による指導に自分をゆだねなければなりません。
そのときの障害は次のようにやろうとする場合に起こります。
すなわち、心がたとえ自分のわがままな行路において多くの過失や不安に出合ったとしても、自分がわがもの顔に振る舞っていたあいだに固持していた自分の正体と権威とを失ったという恐怖の念が起こる場合です。
なぜなら心は知識を持たないために、過失を繰り返していた当時の乏しい知識と同じような知識しか持たない心は、さまざまの結果に(現象に)頼っていたからです。そして過失を修正することなしに自分の地位の改善を望みながら言い訳をするのです。
久保田八郎 訳「レクチャー6●新鮮な想念で人体は若返る」より
ひとたびマインドが生活の中で多くの不快な事を起こしてきた弱さに気づいたならば、たとえ最初は苦痛に感じようとも、意識の指令に従う事を決心しなければなりません。
しかし、これを行おうとすると次のような障害が起こるかもしれません。
それは、個性と権威を失う事を恐れる想念です。マインドは意識よりも優位に立ち、その個性と権威を固持して来ました。それらは、勝手な意志の行使によって多くの過ちや不確実な物事に逢うにも関わらず、マインドが手放さなかったものです。
これは、知識の欠乏によって過ちを繰り返しているマインドと同程度の知識しか持たない結果にマインドが依存した為に生じた事です。そして、マインドは過ちを訂正しようとせずに、意識の上位に立とうと自らを正当化してきました。
篠芳史 監訳「第六課 新鮮さ・マインドを若返らせる」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON SIX Newness, The Rejuvenator Of The Mind"