ただ一つ銘記しなければならないのは、われわれは”好ききらい”に従って他人を非難したり、分割したり、排他的になったり、恨んだりしてこの知識を持つことはできないということです。
一度あなたが”記憶の芽”からくる印象類をキャッチするならば、あらゆる種類の印象(波動)がくるでしょう。
その印象類のなかにはあなたにとって好ましくないものもあるでしょうし恐ろしいものもあるでしょう。
それは、この地球上にはエゴが好まないようなきわめて低い段階の生命現象があるからです。
しかしこうした低い現象もなければ生命界は完全になりません。あらゆる面が必要なのです。
しかしそれらが一度理解されると、それらにたいする非難は停止します。
これは(生命界の低い段階は)ちょうど残酷な場面が展開される舞台上の演劇のようなもので、これがないと生命の各面が真に表現されないことになります。
大きな魚が小さな魚を飲み込むのを見るのは、われわれにとって残酷に思われますが、それは人間がニンジンを食べるのを見るのが残酷だというのと同じです。
なぜならニンジンも人間や魚と同様に分子からできている生きものであるからです。
久保田八郎 訳「レクチャー4●万物の相互関係」より
好き嫌いによる裁き・差別・恨みの感情を抱いては、この知識を持つ事は出来ない事を忘れてはなりません。
何故なら、ひとたびいわゆる記憶の芽から来る印象を感受すると、あらゆる種類の印象を感受するからです。
そして、その中には、不快なものや恐怖を感じるものもあるかもしれないからです。
この地球では、エゴが嫌うような極めて低次な段階で生命を表現しているものもある事を忘れてはいけません。
しかし、こうした低次な現象もなければ生命界は完全にはなりません。あらゆる進歩の段階が必要なのです。
しかし、ひとたびこの事が理解されると非難は消滅します。
残酷な場面が演じられる舞台上の演劇の様に残酷な場面もなければ、生命の各分野を真に表現出来ません。
我々は大きな魚が他の魚を飲み込むのを見ると残酷に思いますが、これは人間が人参を食べるところを見ると残酷に思う事と同じです。
生命あるものは、魚であろうと人間であろうと、分子により構成された生命体であるからです。
篠芳史 監訳「第四課 万物の相互関係」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON FOUR The Relationship Of All Creation"