現在あらゆる探究の分野に学者がいますが、学者のすべては自然の要素と生命体の生産を探究することによって自己の知識を求めるのに自然に頼る必要があります。
また人間は生活それ自体を自然に頼らねばならないので、自分のエゴよりも自然を指導者にする必要があるのです。
いいかえれば自分の心のかわりに意識を自己の指導者にするべきです。
体験からしてわれわれは自然が”至上なる英知”によって支配されていることを知っています。
そこで英知という言葉に返ることにしましょう。われわれはあらゆる状況からして人間が英知を表現していると考えてよいでしょう。しかし人間が自己を表現するとき、われわれは自分の考え方の誤りに気づきます(訳注=人間のなかにはまるで知能のない者がいるように見えることもあるの意)。
だが謙虚で上品な人を見ると、われわれにはその人の表現から本人がまったく知的であるように見えます。
そこで人間は表現または行為によって知能を分類しているわけです。
久保田八郎 訳「レクチャー3●宇宙の法則の応用」より
こんにち努力が要求される様々な分野で学者や研究者が活躍していますが、皆、自然に頼っています。自然界に存在する物質や生命あるフォームが生じるさまを研究する事で知識を得ているのです。
人間は生命を自然に依存せざるを得ず、エゴに導かれるよりも自然に導かれる必要があります。
つまり、人間はマインドの代わりに意識に導かれる様にするべきなのです。
自然は至上なる英知に支配されている事が、我々は体験から理解出来ると思います。
そこで、英知について再び考えましょう。ある人を観察し、立派に英知を表現している様に見えても、実際にその人の言動を見ると自分の判断が全くの誤りだったと気づく場合があります。
一方、謙虚で控え目な人を見ると、その人の表現からとても知的な人だと分かります。
つまり、その表現や行動によって、我々は人間の知性の段階を区別しているのです。
篠芳史 監訳「第三課 宇宙の法則の応用」より
SCIENCE OF LIFE - STUDY COURSE in "LESSON THREE The Application of Cosmic Law"